9人の医師がいる,という安心感
イラストは,当院のスタッフが書いたオリジナル作品です。
当院の医師をご存じの方は,特徴をうまくつかんでいると思いませんか?
初めて受診される患者様は参考になさってください。
*医師名をクリックして,プロフィールをご覧ください。
川俣 和弥(かわまた かずや)
愛育病院 理事長
鹿児島県内や都城市での産婦人科勤務、大学病院での麻酔科研修、鹿児島市立病院での新生児センター研修などを経て、平成10年より約8年間、大阪にある国立循環器病研究センター周産期治療科へ国内留学しました。
当時の周産期治療科は、分娩数こそ少ないものの、心臓・脳疾患をもつ妊婦さんの管理をはじめ、出生前診断、胎児治療などを得意分野としており、お母さんの主治医=赤ちゃんの主治医として新生児科の役割も担っていました。様々な胎児病の児や500gの超低出生体重児などの管理・治療を行うかたわら、合併症を有する妊婦さんのストレスを軽減するため、無痛分娩を行い、鉗子という器具で児を娩出するという分娩スタイルをずっと行ってきました。
当時の部長は周産期医学界の重鎮で、超音波断層装置においては創成期からその開発に携わっておられました。朝のカンファレンスでは「お前プロやろ?できひんことないやんか?」と一喝、今ならパワハラですね(笑)。思い返すと、超音波断層装置の使い方を教わった記憶が全くありません。ただ部長が満足する画像をなんとか得ようと努力しました。師匠は唯一、鉗子の使い方だけは手を取って教えてくれました。「お前のその鉗子にこの子の一生がかかっているという覚悟を持って引け」と。今もその言葉を忘れず、分娩に携わらせてもらっています。ここでの経験が私の医師人生の大きな礎となっています。
愛育病院では無痛分娩のアナウンスや教室など、中心的に無痛分娩を行なっていますが、”お産”とは一人の医師だけで妊婦さんの安全を担保できるものではありません。愛育病院には多くの医師がおり、無痛分娩にかかわらず、安心・安全な医療が提供できるよう日々切磋琢磨しております。
さらに大事なのは、正確に分娩経過を判断できる経験豊富な助産師の存在です。
ハイリスク妊産婦・新生児が増える中、無痛分娩を行うには、愛育病院は安全性・満足度のバランスのとれた環境であると自負しています。
さいごに、産婦人科医になりたての頃、「お産は怖いもの」と教え込まれた記憶があります。大阪での経験以降、分娩を怖いと思ったことはありません。自分が怖いと思えば、それは妊婦さんに伝わってしまいます…お産が怖くて悩んでいる方がいらっしゃればいつでも相談してください!
『プロフェッショナル』としての気概を持って、妊婦さんの望む“お産の形”を実現するお手伝いができるよう、努力してまいります。
吉冨 奈央(よしとみ なお)
愛育病院 院長
鹿児島で産まれ、鹿児島で育ちました。鹿児島大学医学部を卒業後、鹿児島大学病院の産婦人科医局に入局。鹿児島大学病院をはじめ、済生会川内病院、鹿児島市立病院にて産科婦人科、麻酔科等の研修をし、2013年に愛育病院に就職しました。
産婦人科の仕事は、妊娠・出産という女性の人生における大きなライフイベントを一緒に喜べる仕事だと思っています。一方で、流産、不妊症などで悲しい思いをされる患者さんもいます。
喜びはさらに大きく、悲しいときは少しでも患者さんが立ち直るきっかけができるようにお手伝いできたらいいなと思い、日々診療を行っています。私自身も、妊娠・出産を経験していますので、妊娠中のささいな悩みなども気軽に相談してください。
妊娠にかぎらず、月経異常、更年期障害等々、女性ならではの悩みで困っている方も、女性目線でのアドバイスをしますので、是非相談にきてください。
河野 哲志(こうの さとし)
医師
鹿児島大学医学部卒業後、産婦人科医であった父の影響もあり、鹿児島市立病院産婦人科に入局しました。産科、婦人科、新生児科の臨床研修をするなかで、産婦人科は赤ちゃんから年配の方まで幅広い年齢層を思いやる科だと思いました。
また在籍した12年間の途中、アメリカで研究する機会も頂きました。そういったことを含め多くの勉強をさせてもらい、私の産婦人科医としてのベースができました。そういうなかで一次医療(町医者)の大事さが気になっていました。
そこで2006年から愛育病院に入り、現在に至っています。これからも一生懸命がんばって地域社会に貢献したいと思います。
横峯 大策(よこみね だいさく)
医師
愛育病院に勤務して6年目になります。
それ以前はいくつかの病院での勤務経験がありますが、ほとんど鹿児島県内の病院です。
愛育病院は多くの医師(9名 : 男性医師 6名、女性医師 3名)が在籍しているのが魅力の一つです。
主治医制ですが、主治医不在時も他の医師が責任をもって対応させていただきます。
また主治医変更は基本的にいつでも可能です。
あなたに合った主治医を見つけてください。
儀保 晶子(ぎぼ あきこ)
医師
鹿児島大学を卒業し、大学病院と関連病院で産科、婦人科、新生児科を学んだ後、当院へ移りました。
産婦人科医は、お母さんと赤ちゃんを守ることが当たり前の仕事ですが、毎日私の方が元気と笑顔をもらっています。
婦人科は月経にまつわることから腫瘍や感染症など、女性のデリケートな部分を扱う科ですので、受診しにくいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、同じ女性として、娘を持つ身として、いつでも気軽に相談していただければと思います。
樋渡 小百合(ひわたし さゆり)
レディースクリニックあいいく 院長
主に、愛育病院の向かいにあるレディースクリニックあいいくで、赤ちゃんが欲しいご夫婦に、コウノトリさんがくるお手伝いをしています。
専門は不妊治療、高度生殖医療、不育症であり、幸せな空間である産婦人科において、人知れず不安や辛い気持ちを抱えている患者様方の味方であることがわたしの愛育病院での役目かなと思っています。
愛育病院では金曜日午後外来と、妊活相談外来のみのレアキャラですが、分娩や帝王切開の担当をすることもあり、わたしの「お産が好き」「赤ちゃんが好き」「妊婦さんが好き」という産婦人科医を志した原点に立ち返れる大切な病院です。そして、尊敬する先輩医師たちと働けることが幸せだと感じる日々です。
10代から20代の月経の悩みや避妊にはじまり、結婚後は妊活、妊娠、出産、家族計画、そしてエイジングの悩み、更年期、その後もいくつになっても一生女性と婦人科のおつきあいは続きます。結婚や出産については、しないのもするのも女性自身の自由です。すべての選択を受け入れ、応援したいと思っています。そして、女性としていつまでも輝き、豊かに生きていく、その人生の中でのかかりつけの病院として、愛育病院・レディースクリニックあいいくが生涯のパートナーであれたら幸せだなぁと思います。
また、クリニックでの不妊治療卒業後も、今度は愛育病院で、婦人科検診などその後の女性としての人生に関わり続けることができたら嬉しいです。
クリニックは、愛育病院の向かい側にあり、見た目はオフィスビルですが、中は温かい素敵なクリニックです。お友達やご家族で赤ちゃんが欲しくて悩んでいる方がいらっしゃったらぜひお声かけ下さいね。
榎園 祐治(えぞの ゆうじ)
医師
榎園祐治先生は、レディースクリニックあいいく・愛育病院で長きに渡り不妊治療を行い、約5000人を超える妊娠に貢献してきた先生です。
1981年に愛育病院が開院した当初は、四宮先生とともに愛育病院を創設された故中村雅弘先生が不妊治療を開始されましたが、1990年に鹿児島市立病院より榎園先生が入職され、中村先生とお二人で生殖補助医療(体外受精・顕微授精)を本格的に開始されました。1992年鹿児島初の顕微授精(SUZI)による妊娠・出産に成功し、以降鹿児島県の不妊治療を牽引されてきました。
2007年に不妊治療セクションを愛育病院から独立し、レディースクリニックあいいくを開院し、以後13年間は院長として、また、院長を継承された現在も多くの患者様の不妊治療をされています。2008年から2017年まで医療法人愛育会理事長をされ、愛育病院でも多くの妊婦さんを担当され、産科婦人科の広い分野で活躍されてこられました。
現在では、レディースクリニックあいいくの診療に専従されており、ぜひ榎園先生に!と不妊治療の患者様達の「最後の砦」となられています。現在でも、時々愛育病院での手術、分娩や帝王切開に関わっていらっしゃいます。後進の指導にも熱意を持っておられ、何より患者さんファーストの優しい先生で、心から尊敬しております。趣味はゴルフで、かなりの腕前でいらっしゃいます。
(文責:レディースクリニックあいいく 院長 樋渡小百合)
榎園先生のコメントはクリニックのホームページをご覧ください。
儀保 善英(ぎぼ よしひで)
医師
鹿児島大学を卒業後,鹿児島大学医学部産婦人科入局。大学病院をはじめ,鹿児島県内の国立病院や県立病院,都城市の国立病院で約9年間の勤務,研修を経て,1985年4月愛育病院に就職しました。
以来38年間,安心・安全な医療を心掛け,年間1200~1800件の分娩に携わってきました。
これからも頑張ります!
四宮 大乗(しのみや だいじょう)
医師
創業時から愛育病院で働いております。
最年長ですが、まだまだ元気です。
今後も患者様に貢献できるよう頑張ります。